人生は静かに沸騰している

私はこれまで、幾度もの試練を経験してきました。
それらは辛く、時には耐えられないほどでしたが、振り返ってみると、すべてが私の中に密かに力を育んでいたのだと気づきます。
今日は、その経験とともに芽生えた、私にとっての「霊能力」についてお話ししたいと思います。

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私は幼い頃から、とても感受性が強かった。

人の表情や声のわずかな変化、
場の空気の重さ、
言葉にならない感情まで、敏感に感じ取る子どもでした。

親からの暴言や暴力。
愛情を感じられない寂しさ。
家庭の緊張。
学校でのいじめ。
親の借金による貧困。
幼い頃からの労働。

いつも周りの空気を読み、
身構え、萎縮し、
「迷惑をかけないように」と息をひそめるように生きていたのだと思います。

大人になっても試練は続きました。

がんばり続けた心は、ついに限界を迎え、うつ病を発症

何も感じない。
何も望めない。
未来が見えない。

私は「生きること」と
「すべてを守ること」に必死になりすぎていたのかもしれません。

やがて離婚を選び、人生を一度リセットしました。

けれど再出発のあとも、借金や裏切りに直面しました。

心の寂しさとお金の問題は、形を変えながら続いたのです。

その中で気づいたことがあります。

私の人生は、「沸騰の法則」に似ているということ。

水は静かに熱されていく。
温度は少しずつ上がり、
気づかないうちに沸点に近づいていく。

うつは、生き方を組み直すための強制停止だったのかもしれません。

離婚は、依存から自立へ向かうための分かれ道。

裏切りは、まだ手放せずにいた思い込みを焼き切る出来事だったのでしょう。

そして気づけば、
幼い頃からの強い感受性は、ただの「生きづらさ」ではなくなっていました。

人の奥にある感情の揺れ、
言葉にならない痛み、
目に見えない気配。

それらを感じ取り、橋渡しする力へと変わっていたのです。

生き延びることで精一杯だった私は、
その感覚に気づく余裕がなかったのだと思います。

何度も限界を越え、
何度も揺さぶられ、
何度も手放させられる中で、

自分の奥にあった静かで確かな感覚に、もう一度出会いました。

それが、私にとっての霊能力でした。

特別なものではなく、
限界を越えた先で自然に立ち上がった力です。

あの試練がなければ、今の私はいません。

深い痛みを知らなければ、
苦しんでいる人の本当の気持ちはわからなかった。

裏切られた経験がなければ、
人の弱さを知らずに受け止めることはできなかった。

うつの底を知らなければ、
「もう無理だ」と感じている人の沈黙に寄り添えなかった。

私は不幸だったのではありません。

何度も限界を越え、
そのたびに余計なものが削ぎ落とされていったのです。

沸騰とは、一度きりの爆発ではない。

静かに熱された水のように、
気づかないうちに本来の自分が現れてくる。

試練は求めなくていい。

ただ、訪れた熱から逃げなかったとき、
人は自分の奥にあった力を思い出す。

私にとって、それが霊能力というかたちでした。

あなたの中にも、まだ思い出していない力が眠っているかもしれません。

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