霊能者の道を歩む覚悟

自分も霊能者になれるならなりたい。

強い霊感をもっているから霊能者に向いていると言われた。

そう思って、たくさんのスピリチュアルな学びを重ねているのに、
何も起きない。
兆しもない。
変化も感じられない。

――なぜなのでしょうか。

それは、
“なれる日”を待っているからかもしれません。

霊性は、待っているだけでは自然に開くものではありません。

神仏の加護は、
「覚悟」と「行動」にそっと呼応して働きます。

知識を集めることも大切ですが、
それ以上に、
自らを磨き、神仏に向けて己を差し出す心構え

祈りを重ね、
己の弱さと静かに向き合い、
在り方を少しずつ正していくこと。

その積み重ねの中で、
神仏の光は静かに届いていきます。

「霊能者になりたい」――
そう願うことは、尊いことです。

けれど、それはまだ入り口。

「霊能者になる」ということには、
責任と、救済への意志が伴います。

そしてもう一つ。

霊能者になることまでは望んでいないけれど、
霊感が強すぎて苦しい方もいます。

それは、目覚めかけた感性なのかもしれません。

神仏は、
選ばれた人だけを救うのではありません。

苦しみの中にいる方にも、
そっと導きの糸を垂らしてくださいます。

私はこれまで、
志ある方々の霊的基盤を整え、
社会の中で活動できるよう導いてきました。

それは技法をお伝えすることと同時に、
神仏に恥じない在り方を育てていくこと。

軽い憧れだけでは辿り着けない道ですが、
本気で向き合う方には、確かな変化が訪れます。

方法は一つではありません。
修験の道も、その一つです。

私自身、強い感受性ゆえに生きづらさを抱え、
光よりも影の濃い時間を長く歩んできました。

その苦しみの中で、何年も「行」を重ねてきたのです。

静かに座し、内を見つめ、
読経を重ね、
山に入り、
時に滝に打たれながら、己と向き合う。

それはまず、
自分を整えるための歩みでした。

けれど気づけば、
その積み重ねの中で、
霊能者としての資質が磨かれ、
必要な力も静かに授かっていきました。

逃げたくなる弱さも、
認めたくない醜さも、
すべてを神仏の御前に差し出す。

その過程で与えられたのは、
特別な能力だけではありません。

苦しみの中にいる人の痛みを感じ取る心、
そして、必要な言葉を届ける力でした。

かつての私がそうであったように、
感受性の強さに戸惑い、
生きづらさを抱える方を支えるために。

苦しみは、
やがて使命へと姿を変えます。

神仏は、
差し出した覚悟に応えてくださいます。

あなたは――
どこまで自分と向き合えていますか。

その願いは、
神仏に差し出せるほど澄んでいるでしょうか。

力を求める気持ちや、
認められたい想いはありませんか。

神仏は、欲を満たすためだけの存在ではありません。
人をより良い方向へ導く存在です。

授かるかどうかは、望みの強さよりも、
差し出す覚悟によって決まります。

あなたは、待っていますか。
それとも、歩み始めていますか。

大切なのは、待ち続けることではなく、
小さくても一歩を踏み出すこと。

本気で変わろうと決めたとき、
神仏は静かに応えてくださいます。

今、あなたは――
どの位置に立っていますか。

そしてその一歩を、
天は優しく見守っています。

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