自分も霊能者になれるならなりたい。
強い霊感をもっているから霊能者に向いていると言われた。
そう思って、たくさんのスピリチュアルな学びを重ねているのに、
何も起きない。
兆しもない。
変化も感じられない。
――なぜなのでしょうか。
それは、
“なれる日”を待っているからかもしれません。
霊性は、待っているだけでは自然に開くものではありません。
神仏の加護は、
「覚悟」と「行動」にそっと呼応して働きます。
*
知識を集めることも大切ですが、
それ以上に、
自らを磨き、神仏に向けて己を差し出す心構え
祈りを重ね、
己の弱さと静かに向き合い、
在り方を少しずつ正していくこと。
その積み重ねの中で、
神仏の光は静かに届いていきます。
「霊能者になりたい」――
そう願うことは、尊いことです。
けれど、それはまだ入り口。
「霊能者になる」ということには、
責任と、救済への意志が伴います。
そしてもう一つ。
霊能者になることまでは望んでいないけれど、
霊感が強すぎて苦しい方もいます。
それは、目覚めかけた感性なのかもしれません。
神仏は、
選ばれた人だけを救うのではありません。
苦しみの中にいる方にも、
そっと導きの糸を垂らしてくださいます。
*
私はこれまで、
志ある方々の霊的基盤を整え、
社会の中で活動できるよう導いてきました。
それは技法をお伝えすることと同時に、
神仏に恥じない在り方を育てていくこと。
軽い憧れだけでは辿り着けない道ですが、
本気で向き合う方には、確かな変化が訪れます。
方法は一つではありません。
修験の道も、その一つです。
私自身、強い感受性ゆえに生きづらさを抱え、
光よりも影の濃い時間を長く歩んできました。
その苦しみの中で、何年も「行」を重ねてきたのです。
静かに座し、内を見つめ、
読経を重ね、
山に入り、
時に滝に打たれながら、己と向き合う。

それはまず、
自分を整えるための歩みでした。
けれど気づけば、
その積み重ねの中で、
霊能者としての資質が磨かれ、
必要な力も静かに授かっていきました。
逃げたくなる弱さも、
認めたくない醜さも、
すべてを神仏の御前に差し出す。
その過程で与えられたのは、
特別な能力だけではありません。
苦しみの中にいる人の痛みを感じ取る心、
そして、必要な言葉を届ける力でした。
かつての私がそうであったように、
感受性の強さに戸惑い、
生きづらさを抱える方を支えるために。
苦しみは、
やがて使命へと姿を変えます。
*
神仏は、
差し出した覚悟に応えてくださいます。
あなたは――
どこまで自分と向き合えていますか。
その願いは、
神仏に差し出せるほど澄んでいるでしょうか。
力を求める気持ちや、
認められたい想いはありませんか。
神仏は、欲を満たすためだけの存在ではありません。
人をより良い方向へ導く存在です。
授かるかどうかは、望みの強さよりも、
差し出す覚悟によって決まります。
あなたは、待っていますか。
それとも、歩み始めていますか。
大切なのは、待ち続けることではなく、
小さくても一歩を踏み出すこと。
本気で変わろうと決めたとき、
神仏は静かに応えてくださいます。
今、あなたは――
どの位置に立っていますか。
そしてその一歩を、
天は優しく見守っています。
