不思議なものは、すべて神聖とは限らない

不思議なものは、すべて神聖とは限らない


InstagramやTikTokを見ていると、霊的な世界について発信する人が、本当に増えましたね


「龍の声が聞こえた」

「神様が姿を見せてくださった」

「神様から、こう言われた」

「この神社には悪いものがいる」

中には、どこかで見聞きして覚えたのか、あるいは何らかの修行や体験の中で教わったのか、印らしきものを結び、真言を唱えたり、独自の作法のようなものをつくり、それを発信している人もいます。

本来、印や真言、作法というものは、ただ形を真似ればよいというものではありません。

そこには、それぞれの宗派や修法の中で受け継がれてきた教えがあり、意味があり、伝授があります。

それを、どこで、誰から、どのように学んだものなのか。

見えない世界を扱う以前に、私はそうした部分にも危うさを感じています。

以前このブログで、日本のスピリチュアルについて感じている違和感を書きました。

そこでは、霊的な能力を持つことと霊性の高さは同じではないこと。

そして、能力を持つ者ほど、その能力を扱う自分自身を修め続ける必要があることを書きました。

今回は、その続きになるのかもしれません。

最近のSNSを見ながら、もう一つ強く感じていることがあります。

それは、

「見えない世界だからこそ、何でもありになってはいないだろうか」

ということです。

誰にも確かめられないからこそ

見えない世界について語られたことは、その場にいなかった第三者には、ほとんど確かめる術がありません。

「神様がこう言っていました」

「龍がこう言っています」

そう言われても、それが本当に神や龍から発せられたものなのか、聞いている側には確認することができません。


ところが、そこへ、

「私にも同じものが見えました」

「霊感の強い息子も、同じことを言っています」

「やっぱりそうだったんですね」

といった言葉が重なっていくことがあります。

すると、それがいつの間にか“答え合わせ”のようになり、

「同じように感じた人がいるのだから、やはり正しい」

という確信へ変わっていく。

けれど、何人かが同じように感じたことと、それが事実であることは同じではありません。

それにもかかわらず、ときには疑問よりも興味と共感が先に集まり、称賛され、発信者が「特別なものが見える人」「神仏の言葉を伝えられる人」として担ぎ上げられていく。

私は、その光景に恐ろしさを感じることがあります。

見えない世界だからこそ、本当の怖さを知らない

見えないものは、誰にでも同じように確認できるものではありません。

だからこそ、

言った者勝ち。

やった者勝ち。

そんな世界になってしまう危うさがあります。

もちろん、自分が経験したことや感じたことを発信する自由はあります。

けれど、自由であることと、何を語ってもよいことは同じではありません。

まして、

「神様がそう言った」

という言葉には、人間が発した言葉以上の重みを感じる人もいます。

神の言葉として受け止め、その人の選択や人生にまで影響を与えることもあるでしょう。

だからこそ、

「私にはそう感じられた」

ということと、

「神がそう言った」

ということの間には、本来、大きな隔たりがあるはずです。

不思議なものは、すべて神聖なものなのか

もう一つ、知っておいていただきたいことがあります。

古来、日本では山や森、川、岩、樹木、滝など、自然の中に神聖なものを見いだし、そこに神々の働きや存在を感じてきました。

修験道においても、山は単なる自然ではなく、祈り、行じる場として大切にされてきました。

そこにあるのは、人間が「何かを見せてもらう」ために自然へ入っていく姿勢ではありません。

人智を超えたものに対して頭を垂れる「畏れ」です。

神聖な場所に入るのであれば、その土地に敬意を払い、そこに在るものを尊ぶ。

「何か見せてほしい」

「龍を撮りたい」

「神様を映したい」

そうやって人間の側から騒ぎ立て、追い回すものではありません。

そして、

不思議な光が見えたから「神様」。

突然風が吹いたから「龍神」。

何かが映り込んだから「精霊」。

そう単純なものでもありません。

神聖なるものだけが「見えない存在」ではない

日本に残されてきた伝承を見ても、見えない世界に存在すると考えられてきたものは、神仏や神霊だけではありません。

妖(あやかし)や狐狸をはじめ、人を惑わせる存在についても、数多くの話が語り継がれてきました。

狐火のように、不可思議な「火」や「光」として語られてきたものもあります。

つまり古来の人々も、

「不思議な現象が起きた=尊い存在が現れた」

と、すべてを同じように捉えていたわけではないのです。

神聖なるものもある。

人を惑わせるものもある。

正体の分からないものもある。

だからこそ、見えないものには畏れがありました。

これは、とても大切なことだと思います。

光った。

風が吹いた。

声が聞こえた。

姿が見えた。

それだけで、その正体まで分かったことにはならないのです。

本当に分かっている人ほど、大げさにしない

もちろん、私はSNSに投稿されている霊的な映像を、すべて否定しているわけではありません。

映像を見ていて、神仏の後光のようなものを感じることもあれば、自然界に宿る精霊の存在を感じることもあります。

けれど、これまで私が出会ってきた中で、

「この方は本当に分かっておられるのだろう」

と感じる方々には、ある共通点があるのです。

物事を必要以上に大げさにしないこと。

何かを感じたからといって、すぐに断定しないこと。

自分だけが特別な存在であるかのように振る舞わないこと。

そして、神仏や自然に宿る存在を、自分を大きく見せるために利用しないこと。

そこには必ず、敬意があります。

そして、畏れがあります。

人間には分からないものがある。

自分には見えていないものがある。

自分が感じ取ったことが、すべてではない。

それを知っているからこその慎みがあります。

「見える」ことよりも、何を見ているのか

SNSでは、不思議なものほど注目を集めます。

「龍が現れた」

「神様が映った」

「精霊を撮影した」

刺激的な言葉ほど、人の目を引くでしょう。

けれど、本当に見るべきものは、そこなのでしょうか。

私は、

何が見えるのか。

何が聞こえるのか。

どれほど不思議な現象を経験したのか。

それ以上に、

その人が、見えない存在に対してどのような姿勢で向き合っているのか。

そこを見るようにしています。

神仏への敬意があるのか。

自然への敬意があるのか。

自分が受け取ったものを絶対視していないか。

人を必要以上に怖がらせていないか。

神の名を借りて、自分の言葉に権威を持たせていないか。

そこには、投稿された光や映像以上に、その人の本質が現れるように思います。

受け取る側にも、考える目を

そして、この話は発信する側だけの問題ではありません。

見ている私たちにも、問われていることがあると思います。

「神様がそう言っているから」

「霊感のある人がそう言っているから」

「同じものが見えたという人が何人もいるから」

それだけで、自分の判断を誰かに預けてしまわないこと。

称賛の数が、真実を証明するわけではありません。

共感する人の数が、正しさを保証するわけでもありません。

そして、

不思議だからといって、神聖であるとは限りません。

「本当にそうなのだろうか」

そう一度立ち止まって考えることは、神仏を疑うことではありません。

人間が語った「神仏の言葉」を、そのまま神仏の言葉として受け取らないということです。

見えないからこそ、畏れを忘れない

見えないからこそ、何でもありにしない。

分からないからこそ、分かったつもりにならない。

人智を超えたものだからこそ、敬意を持って向き合う。

神仏も、自然界に宿る存在も、人間がSNSで注目を集めるための道具ではありません。

人間の承認欲求を満たすために存在しているものでもありません。

古来、人は見えない存在を、決してひと括りにはしてきませんでした。

神聖なるものがあり、

人を惑わせるものがあり、

そして、人間には分からないものがある。

だからこそ、そこには「畏れ」があったのだと思います。

見えない世界を知るということは、何でも分かるようになることではありません。

むしろ、知れば知るほど、

人間には分からないことがあると知ること。

そして、その前で謙虚であること。

見えない世界に触れるということは、本来、そうした慎みとともにあるものなのではないでしょうか。


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