「スピリチュアル」という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
霊感、霊視、透視、チャネリング、ヒーリング、タロット、占い……。
現在の日本では、こうしたものが大きく「スピリチュアル」というひとつのカテゴリーとして扱われることが多くなりました。
私自身も長年この世界に身を置き、霊的な能力を用いる仕事に携わっています。
そうした経験を重ねる中で、いつからか「スピリチュアル」という言葉の使われ方に、大きな違和感を覚えるようになりました。
それは、本来スピリチュアルという言葉の中心にあるはずの「霊性」が、いつの間にか見えにくくなっているように感じるからです。
■ 霊的な能力がある=霊性が高い、ではない
霊が見える。
人には見えないものを感じる。
霊視や透視ができる。
メッセージを受け取ることができる。
こうしたものは、霊的な「能力」に関することです。
しかし、
「霊的能力が高いこと」と「霊性が高いこと」は、同じではありません。
どれほど優れた能力を持っていても、それだけでその人の人間性や霊性まで高くなるわけではありません。
霊的能力は、あくまでも能力です。
そして、その能力をどのように使うのかを決めるのは、その人自身です。
だからこそ、霊的な能力を扱う者にとって大切なのは、「どれだけ見えるのか」「どれだけ感じ取れるのか」ということだけではありません。
その能力を持つ自分自身が、どのような人間であるのか。
その能力を、誰のために、何のために使うのか。
そこが、とても大切なのです。
■ 私たちミディアムが最初に学ぶこと
私は、イギリスで長い歴史を持つスピリチュアリストの団体、SAGB(Spiritualist Association of Great Britain)で、ミディアムとして活動し、後進の指導にも携わってきた師のもとで、ミディアムシップを学びました。
SAGBでは、長年にわたりミディアムシップの教育や訓練が行われ、世界各国から多くの人々がその学びを求めて訪れています。
そんなイギリスの伝統的なミディアムシップを背景に持つ師から、私が最初に教えられたのは、単に「霊が見えるようになる方法」や「声が聞こえるようになる方法」だけではありません。
能力を開発する以前に、まず学ぶべきことがある。
それが、「魂」と「霊性」についてでした。
ミディアムとして成長していくためには、献身や忍耐、自己を律することが必要であり、それと同時に、謙虚さ、正直さ、誠実さ、慈愛を育てていくこと。
そして、自分の能力を自分のためだけに求めるのではなく、人を援け、奉仕するために使おうとする心を持つこと。
師から伝えられたことは、こうした人としての在り方や成長そのものが、優れたミディアムになるために欠かすことのできない大切な要素であるということ。
つまり、能力を磨くことと、自分自身を磨くことも欠かせないのです。
その両方があってこその「スピリチュアルな成長」。
そうした魂と霊性の学びを土台として、その上にミディアムシップの能力開発があるのです。
■ なぜ「自分自身」を学ぶことが大切なのか
その理由は、とてもシンプルです。
ミディアムシップにおいて、媒体となるのは「自分自身」だからです。
どれほど素晴らしい技法を学んでも、その能力を扱うのは自分です。
自分の思い込み、自我、欲、恐れ、感情。
それらを自分自身が理解していなければ、自分の考えや願望と、受け取ったものとの境界が曖昧になることがあります。
そして何より、霊的な仕事は、人の心や人生に関わる仕事でもあります。
私たちが発する言葉によって、誰かが勇気を持つこともあれば、不安や恐怖を抱くこともあります。
だから、
「何を受け取ったのか」だけではなく、
「それを、どのように伝えるのか」
「自分の言葉に、どのような責任を持つのか」
「目の前にいる人の人生や魂を、どれだけ尊重できるのか」
ということまで問われます。
能力を持つということは、その能力を使う責任を持つということでもあるのです。
■ 「それだけ能力があるのに、何を学びに来ているの?」
私は、霊媒師としてすでに活動し、霊視や透視などの能力を実践で使うようになってからも、さらに学びを深めたいと思い、さまざまなスクールやクラスで学んできました。
その中で、一緒に学んでいるクラスメートから何度も言われた言葉があります。
「それだけ能力があるのに、何を学びに来ているの?」
「もう学ぶことなんてないんじゃない?」
もちろん、悪意から出た言葉ではありません。
むしろ、「すでにそれだけできるのなら、なぜまだ学ぶ必要があるのだろう」という純粋な疑問だったのだと思います。
けれど私は、その言葉を聞くたびに不思議に感じていました。
なぜなら、私が学びたかったのは「もっと見えるようになる方法」だけではなかったからです。
霊的な世界について、もっと深く知りたい。
魂について学びたい。
自分自身の霊性を高めたい。
そして、霊的な能力を持つ者として、どう在るべきなのかを学び続けたい。
私にとって、スピリチュアルな学びとはそのようなものでした。
「すでに能力があるのなら、もう学ぶことはないのでは?」
この言葉に触れるたび、私は、スピリチュアルな学びそのものが「能力を身につけるためのもの」として捉えられている部分があるのではないか、と考えるようになりました。
■ 能力開発=スピリチュアルな成長ではない
日本のスピリチュアルの世界を見ていると、「能力を開発するための技法」に重きが置かれているように感じることがあります。
霊視ができるようになる方法。
チャネリングができるようになる方法。
高次の存在とつながる方法。
さまざまな能力開発の方法が、「スピリチュアルな学び」として語られています。
もちろん、能力を開発するための訓練そのものを否定しているわけではありません。
能力を正しく扱うためには、訓練も必要です。
しかし、それだけがスピリチュアルな学びではありません。
もし、「見えるようになること」「聞こえるようになること」「感じ取れるようになること」が学びのゴールであるなら、すでにそれができる人には「もう学ぶことがない」という考えになるのかもしれません。
しかし、魂と霊性の学びに終わりはありません。
どれほど能力があっても、
どれほど経験を積んでも、
どれほど多くの人と向き合ってきても、
自分自身を学び終えることはありません。
むしろ、その能力を仕事として人に使うようになればなるほど、自分自身を見つめ、学び続ける必要がある。
私はそう考えています。
■ 占いとスピリチュアルの混同
そして、現在の「スピリチュアル」という言葉をさらに分かりにくくしているもののひとつに、占いとの混同があるように感じています。
四柱推命、算命学、西洋占星術、数秘術、タロットなど、占いにはそれぞれ体系や技法があります。
占術は、ひとつの専門分野です。
一方、霊感、霊視、透視などは、「占術」そのものとは異なります。
現在では、占術を扱いながら「霊感」「霊視」「透視」などを掲げる方もいます。
反対に、霊能者や霊媒師がタロットなどの占術を扱うことも珍しくありません。
私自身も、霊媒師として活動するようになった後、占いの館で鑑定を行い、霊視や透視とともに占術を用いてきた経験があります。
だからこそ、私は占いを否定したいわけではありません。
占いには占いの専門性があり、霊的な能力には霊的な能力としての性質があります。
ただ、
「占術」
「霊的能力」
「ミディアムシップ」
「霊性」
これらは、それぞれ意味の異なるものです。
それらがすべて「スピリチュアル」というひとつの言葉の中に入れられることで、本来とても大切な違いが見えにくくなっているのではないでしょうか。
■ スピリチュアルとは「何ができるか」なのでしょうか
霊が見える。
未来が分かる。
カードからメッセージを読み取れる。
人には感じられないものを感じられる。
もし、それらの能力を持つことそのものを「スピリチュアル」と呼ぶのであれば、スピリチュアルは単なる「能力の種類」を表す言葉になってしまいます。
けれど、私が学んできたスピリチュアルは、そうではありません。
大切なのは、
「何ができるのか」ではなく、
「その力を持った自分が、どう生きるのか」。
人としてどう在るのか。
自分の魂とどう向き合うのか。
他者の魂をどう尊重するのか。
自分自身の未熟さとどう向き合うのか。
そして、自分に与えられたものを、何のために使うのか。
そこに、霊性の学びがあります。
■ なぜ能力者は、自分自身を修め続ける必要があるのか
霊的能力が高まったからといって、人間として完成するわけではありません。
能力を持つ者も、一人の人間です。
感情もあれば、欲もあり、自分が正しいと思いたくなることもあります。
そして、能力があることで「自分は特別な存在なのだ」という驕りが生まれることもあるかもしれません。
だからこそ、能力を磨くことと同じように、その能力を扱う自分自身を磨き続ける必要があります。
自分の感情や思い込みを、霊的なメッセージと混同していないか。
自分の価値観を、相手に押しつけていないか。
「自分には分かる」という驕りに陥っていないか。
能力によって人を支配したり、恐怖や依存を生み出したりしていないか。
霊的な能力を仕事として使う以上、その言葉や行為が、誰かの心や人生に影響を与えることがあります。
だからこそ、能力を持つこと以上に問われるのは、その能力を持つ自分が「どう在るのか」ということ。
その力を誰のために、何のために、どのように使うのか。
そこに、その人の人間性や霊性が表れるのだと思っています。
■ そして私は、自分を修める場所として「修験」を選びました
現在、私は修験道の僧侶として、学びと修行の中に身を置いています。
得度を受け、修験道の道へ進んだとき、
「なぜ、得度する必要があったの?」
「なぜ、修験なの?」
と聞かれました。
そのとき思い出したのが、以前言われた、
「それだけ能力があるのに、何を学びに来ているの?」
「もう学ぶことなんてないんじゃない?」
という言葉でした。
私の中では、これらの問いはすべてつながっています。
私は、さらに強い霊的能力を得るために学び続けているわけでも、能力を高めるために修験道へ進んだわけでもありません。
自分自身を修め続けること。
その実践の場として、私は修験道を選びました。
山に入り、祈り、行じる。
思うようにならない自然の中に身を置き、自分自身と向き合う。
日々の生活の中でも、自分の言葉や行いを省みる。
私にとって修験とは、何か特別な力を得るためのものではなく、「自分を修める」ということを実践していく道です。
考えてみれば、ミディアムシップを学んだときから、求めているものは変わっていません。
私にとって、ミディアムシップの学びと現在の修験道は、まったく別々のものではなく、「自分自身を修め続ける」という一本の道の上にあるものなのです。
■ スピリチュアルとは「どう生きるか」
能力を磨くことだけが、スピリチュアルな学びではありません。
その能力を扱う自分自身を磨くこと。
そして、能力を身につけた後も、自分自身を修め続けること。
「何が見えるのか」
「何が聞こえるのか」
「どれほど強い能力を持っているのか」
そこだけに目を向けてしまえば、スピリチュアルの中で最も大切な「霊性」が置き去りになってしまいます。
私にとってスピリチュアルとは、「何ができるか」を競う世界ではありません。
自分という魂が、この人生をどう生きるのか。
人とどう向き合うのか。
自分の未熟さと、どう向き合うのか。
自分に与えられたものを、どのように人のために生かしていくのか。
それを問い、学び、実践し続けていくこと。
それが、私がこれまで学び、実践してきた中で辿り着いた「スピリチュアル」です。
だから私は、今も学び続けています。
そして、これからも自分自身を修め続けていきたいと思っています。
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