文字にすると語弊が生じてしまう内容となるかもしれませんが、今回は敢えて書きたいと思いました。
と、言うよりも…
神様に書かされている…、という感じかも
まず修行とは、
悟りをめざして心身浄化を習い修めること。仏道に努めること。
と、されています。
『修行』という意味と、その意識が大きいかどうかが大きな分かれ道となるでしょうね。
人間ですから、修行に関して、否定的になってしまうこともあるでしょう。
ですが、否定的な気持ちで修行をやっていては本末転倒です。
よく耳にするのが『自分のペースで修行します』。
この言葉の裏に自分勝手な自分都合でなければそれでも良いとは思いますが、
自分のペースというのは『自分なりに精一杯』であることが基本でなければ意味がないでしょう。
例えば私の場合、御神行へ向かう前はどんなに朝が早くても浄化と神拝は絶対です。
私が神にお導きを頂けたのは、頑固なまでにブレない神へ向かうこの『姿勢』だと思います
これは絶対心得ておいた方が良いこととして。
御神行の前後は、特に神の意識に入りますのでめちゃくちゃダイレクトに神様に筒抜けだということです。
御神行とは、神の意識の中で神の御指示のもとで神行を行う。
師の先導の元で神行が無事に終わった後、ご自身のことや取り組んでいる修行に関して否定的な言葉を発したり、それ以上に愚痴などは全てを水の泡にし、或いは、大きく穢し、大罪を重ねるのと同じことかもしれません。
愚痴や不平不満等が出る…、出る方が不思議ですが、これは絶対心得て控えた方が宜しいかと思います。
私などは、御神行をした後などは神の領域へ入り、深く結びついていますので、神のエネルギーに満ちていてとても清々しく、神への感謝と前へ進む向上心で胸がいっぱいとなったものです。
それは先生が能力があって、しっかり繋がっている人だからそう思うのではありませんか?
もし貴方が修行者でありながら、そう思ったのであれば、神は大きく嘆かれていることでしょう。
一番重要となるのは『心=魂』です。
理性を使い、心で捉える。
結果が出ないと嘆くよりも、常に謙虚であれ。
他人と比べている限り成長はありません。
霊能開拓と霊性の浄化。
神にひれ伏す思いで、神に祈り、己を振り返り、内省し反省し、研鑽し、神の僕となれるその時まで静かにただただ待つのです。
全ては必然。
貴方が霊能者やヒーラー、どんな形であれ、神の遣いになりたいと願い修行を始めたのであれば、
まずは神に認められる人材となるべく、その姿勢を正し、研鑽するのみではないでしょうか。
ご加護と善きお導きがありますように
はじめましてこんにちは
誰にも相談できずにひとりで苦しんでいます。
私はある霊能者の元で学んでいます。
日々の御指導は厳しく、私が至らないのだと自分を責めています。
何度かここを辞めますと言ってみたのですが、「諦めるな」「踏ん張れ」と言われます。
諦めない先に光があるのであれば踏ん張ったかいがあるというもの、そうでなければ何のためにと思ってしまうように感じます
お返事頂けますと有難いです。
はじめまして。
コメント有難う御座います。
霊能者と言えど人間です。
能力だけではなく、人柄や霊界と繋がる上での姿勢なども含めてその霊能者の方をどれだけ信頼できているのかも重要だと思います。
そして修行は自分自身で掴みにいくものでなければ何の価値もありません。
受け身の修行では何もかもが厳しい。
師から『諦めるな、踏ん張れ』と言われて出来る修行などありません。
選択は全て自分にあります。